燃え上がる炎の中、アーカードの回想(?)というか、過去話が展開されます。
ヴラド3世の人生が下敷きとなっている今回のエピソード。冒頭のシーンはワラキアがオスマンに敗退してまだ当時10代の子供だったヴラド3世が人質になったあたりです。
当時は彼も十字架を首にかけたキリスト教徒だったわけですが、神にすがるも、あえなく「喰われて」おります(汗)
旦那いきなり波乱の人生。
その後はワラキアの焦土作戦などをくりひろげてオスマントルコ相手に戦いの日々だったわけです。
アーカード自身から「神は降りて来たか」という問いが発せられていますが、考えてみれば、旦那、ワラキアの人民にとってみれば「英雄」以外の何者でもなかったという事です。
カネッティによれば(上巻・生きのこる者の章参照)敵も味方もひっくるめてより大きな死体の山を築く事、そしてその中で生き残る事が英雄の条件。
そうであるなら、当時ヴラド3世(アーカード)はまさに英雄の典型だったわけです。
HELLSINGという作品は、この「英雄」というものの本質を見抜いた上で、人であるにもかかわらず「英雄」を「化け物」と位置づけているのが、印象的。
しかもこの回想シーンに大戦末期の少佐が登場するというのは、ここでも旦那と少佐が実は本質的に似通っているコトを示唆しています。
そして英雄だったはずのヴラド3世もいよいよ、オスマントルコの手に落ち、彼が築いてきた死者の群れに加わろうというまさにその瞬間にあって、血をなめることで吸血鬼となった…という事のようです。
(首切りの斧によって十字架がくだかれているのが、その事を暗示しているのでしょう)
「それでもなお あきらめを踏破するのなら」は3巻第1話のアーカードのセリフを踏まえているのは明らかなので、本来ならここは「あきらめを拒絶するのなら」とするべきところかもしれませんが、いずれにせよ十字架がくだけるシーンでいよいよアーカードの視野が狭まり、いよいよ意識が途切れ暗転、三途の川をまさに渡ろうか(?)と言うその瞬間に彼をこの世につなぎ止めたのは、過去のアーカードと同様、あきらめを拒絶し人道を踏破した権利人、セラスの声でありました…
婦警、GJです!
というところで8巻これにておしまい。