前回に引き続きまだまだアンデルセン神父、死の河を遡上中…
なかなかアーカードの前にたどり着けずにいるところへ、イスカリオテのメンバーが合流してきます。
アンデルセンがバチカンへの帰還を命じていたにもかかわらず、アンデルセンの元にかけつけた彼らは、やはり根っからの狂信者ということでしょう。
「そうあれかしと叫んで斬れば 世界はするりと片付き申す」ってそれにしてもスゴい教えですよね。さすが神罰の地上代行者です。(それにしても熱血だなぁ…)
そして、イスカリオテメンバー全員が、アンデルセンを先頭に斬り込みを開始します。「行きます」「逝け!!」「お先に!!」と致命傷を受けたものから次々と捨て駒になって、自爆していくわけですが、その様子を眺めながらの「さくりさくりと死んでいく」以下の少佐のセリフ。
個人的には正直かなり驚きました。
わたしはあまりマンガを多くは読んでいませんが、この少佐のセリフのような、「群衆」というものに対する認識はマンガなどではごくごく一般的なものなのでしょうか。
実はこのくだり、先日来読み進めている(しかもまだ途中…汗)カネッティの『群衆と権力』における群衆論と酷似しているように思います。
すなわちカネッティの論をざっくりまとめれば、人間は特に好意を持っていない場合、他者との接触を恐怖する。この接触恐怖から唯一自由になれるのが、群衆の中にいる瞬間である。肉体的にも心的にも緊密で、互いに押し合っている状態のとき、この接触恐怖が転化し、理想的な場合、一切が一個の肉体の内部で起こったときのように自己と他者との区別も無くなり、解放され、全てが平等になる。
では群衆は何を核として形成されるのかと言うと、それがこの場合、「神」に対する信仰や、「国家社会主義」による戦争や、「アーカード」という存在への一体ということになるのですが、いずれにせよ、「理想的な群衆」の形成を少佐はこの場で目撃し、これを称して「黒い兄弟たち」と言っているわけです。
そして、カネッティがナチスの台頭を目撃していたドイツ語で書くユダヤ人であることを考えると、少佐とのこの見解の一致は、また一層興味深く思えてなりません。
この部分を「読んでいてすごいな〜」と思ってしまうわたしはまだまだ勉強不足ということでしょう。
そしてついに、多くの仲間の屍を超えて、アンデルセン神父ようやくアーカードの元にたどり着きます。
対アーカードの切り札をほのめかしつつ、次回へ!!