今回は第13課の大見得の巻。
アンデルセン神父をメインに 問答の形で第13課の心意気がとうとうとうたわれます。(以下ウィキ参照)
「我ら熱心党(イスカリオテ) 熱心党(イスカリオテ)のユダなり!!」
まず「イスカリオテのユダ」ですが、これは有名なあのキリストを裏切ったユダのこと。「カリオテ村のユダ」という意味です。
一方「熱心党」と言うのは、キリストの時代にあったとされるユダヤ民族の独立を目指し、目的のためなら暴力行為も辞さないと言う政治的宗教集団のことだそうです。
なので「熱心党」に「イスカリオテ」のルビをふるのはかなり大胆と言えます。
そしてイスカリオテは右手には短刀と毒薬、左手には銀貨三十と荒縄なり…と続くわけですが、短刀と毒薬は刺客の象徴、そして銀貨と荒縄はイスカリオテのユダがキリストを売った時の報酬を神所に投げ込み、そのまま首を吊ったことをふまえています。(3巻第4話参照)
ようするに自分たちは「神の刺客」であり、死んだ後も刺客ですから、はなから天国に行けるなんて甘いことは考えになく、地獄に降りてなお、あまたの悪鬼相手に殺し続けるといっているわけです。
「我ら刺客なり 刺客(イスカリオテ)のユダなり」って、また大胆なルビです。
しかも「黙示の日まで(アポカリプス ナウ)」と言うのだからものすごい。神を信じ、神のために、いつ訪れるか分からない、でもきっと訪れると信じている最後の審判とその後の救済の時まで、殺して殺して殺しまくるという、第13課の凄まじいまでの心意気であります。
「アポカリプス ナウ」(apocalypse now)は映画「地獄の黙示録」の原題ですが、「今こそ、最後の審判の時だ!」というくらいのニュアンスでしょうか…
とにかくこの回、イスカリオテかっこいい〜。
(20110214追記)
ダンテの『神曲』地獄篇第34曲ではサタンに頭を丸呑みにされ
て「…そはイスカリオテのユダ 頭を内にし、脚を外に振る」という
最も重い懲らしめを受けているのとくらべると、第13課は同じ名前で
も大違いです…